僕の家にはモノがあまりない。
ずっと掃除が苦手だった。
まだ実家に住んでいた時に、コンマリさんの片付けの魔法を読んだ。
佐々木 典士さんの本「ぼくたちに、もうモノは必要ない。」も読んだ。
すぐに影響を受けて断捨離をするようになった。
掃除がしやすいように、ベッドを三つ折りマットレスに変えた。
モニターアームをつけていたデスクもゲーミングチェアも捨てた。
本も洋服も思い出の品も写真に収めてから捨てた。
もちろん実家ですべてを断捨離できるわけではなく、あくまで自分の部屋の中だけ。
そんな生活でも部屋の広がりとともに心まで広がり余裕ができた気がした。
それからしばらくして一人暮らしするとなった時には、理想のミニマルな生活ができるとワクワクした。
買った家電はドラム式洗濯機だけ。これは洗濯が大の苦手だから。
特に濡れた洗濯物をハンガーにかけて干すという作業が大嫌いだった。
だからドラム式だけは譲れなかった。
クイックルワイパーをかけやすいように床にモノを置いていない。
他のモノはすべて備え付けの収納の中に納める。
まるで内見時の部屋と言われるような生活感ゼロの環境を作った。
そんな家で生活している僕は世間的に言えばミニマリストの部類に入るだろう。
でも人に「ミニマリストなんですね。」と言われると、「(ミニマリスト)みないなものかな。」と返してしまう。
ミニマリストである、と言いたくないのだ。
なぜか。
世で知られているミニマリストはYoutube然り、Twitter然り、承認欲求が強い気がする。
もちろんビジネスの側面もあるのだろうが、違和感を感じる。
ミニマルライフによって自分らしい人生を生きるという本来の目的ではなく、他人の評価を得るためのミニマルライフというような、手段の目的化が感じられる。
僕はモノが少ないことを発信しようとも思わないし、誰かに知って欲しいわけでもない。
ただただ自分のための、自分だけのミニマルライフでありたいのだ。
だから僕は自分をミニマリストと言いたくない。